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西暦1747年の出来事

   〔出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』〕

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西暦1747年の主な出来事 1747年9月号の『ジェントルマンズ・マガジン(英語版)』誌に掲載された、南西から臨むヴェスヴィオ山。この雑誌は、1731年に創刊された、世界で初めて"magazine"の語を用いた逐次刊行物であった。 清 - 大小金川の戦い(英語版)(十全武功) - 乾隆帝が雲貴総督の張廣泗に、四川で発生したチベット系ギャロン人の抗争の鎮圧を命じる[1](-1749年)。
1月~3月▽
1月31日 – 性病専門の病院(駆黴院)としては世界初のロンドン駆黴院(英語版)が開業(-1952年)。
2月11日 – ジョージ王戦争 - グランプレの戦い。ニコラ・アントワーヌ・クロン・デ・ヴィラーズ2世(英語版)率いるヌーベルフランスの軍隊とミクマク族の民兵が、ノバスコシア州、グラン=プレでイギリス軍を破る。
3月7日 – スペイン領フィリピン総督代理の司教フアン・デ・アルチェデラが、スペイン軍とスールー・スルタンのアジム・ウッディーン1世(英語版)(Azim ud-Din I)の軍勢を統合させる。 ビサヤ諸島で発生していたモロ人の反乱を鎮圧が目的であった[2]。
3月19日 – スコットランドの貴族、ラヴァト卿サイモン・フレイザーが、チャールズ・エドワード・ステュアートを王位につけんがためにイギリス王ジョージ2世に対して起こした、1745年ジャコバイト蜂起の首謀者の一人であった廉で反逆罪に問われ、有罪・死刑判決を受ける[3]。貴族院で行われた7日間の弾劾裁判と有罪判決の後、フレイザーは最終判決の同日に首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑に処されることに決まる。しかしながら、この判決はジョージ2世によって斬首刑に変更された。
4月~6月▽

4月9日 – ラヴァト卿ジョン・フレイザーが斬首によって公開処刑される。執行人はジョン・スリフト。これはイギリス史上最後の斬首刑となった。
4月20日(延享4年3月21日)–遠江で、東海道の盗賊日本左衛門(歌舞伎『白浪五人男』の日本駄右衛門のモデル)が見附で獄門に処される。
5月7日 – ヨハン・ゼバスティアン・バッハが、ポツダムでフリードリヒ2世と謁見、御前で即興演奏を行う。同年7月には楽譜に書き起こしてフリードリヒ2世に献呈し、さらに9月末には新しく作曲したカノンとリチェルカーレ、フルートの参加するトリオ・ソナタを加えたものを『音楽の捧げもの』として出版する。
5月14日 – オーストリア継承戦争 – 第一次フィニステレ岬の海戦。提督ジョージ・アンソン率いるイギリスの艦隊がフランスの艦隊を破る。 『音楽の捧げもの』六声のリチェルカーレ譜面。ドイツ、ベルリン州立図書館蔵。
5月24日(延享4年4月16日)– 江戸城二の丸が焼失する。
6月9日(延享4年5月2日) – 桜町天皇の譲位により桃園天皇が即位。
6月24日-10月14日 – ウィリアム・ムーア船長とフランシス・スミス船長に率いられ、イギリスのガレー船ドッブス号とカルフォルニア号がハドソン湾を探検航海し、この湾経由の北西航路は存在しないこと発見する。この探検についての報告は、のちにジョージア植民地の総督となるヘンリー・エリスによって出版された。
6月26日-8月4日 – イギリスで総選挙。ペラム内閣の与党ペラム派ホイッグ党の勝利。
4月 - オラニエ公ウィレム4世が、オランダ各州の総督職を全てひとつに併合したオランダ総督に就く。
7月~9月▽
10月:アフマド・シャー・ドゥッラーニーがアフガン帝国のシャーに即位。 7月2日 – オーストリア継承戦争– ラウフフェルトの戦い。モーリス・ド・サックス元帥率いるフランス軍がハノーファー・グレートブリテン・ネーデルラントの同盟軍相手に決定的な勝利を収める。これによって、フランス・オーストリア戦争の趨勢がほぼ決した。
8月15日 – イギリス、ロシア、ネーデルラントの三国が、フランスとプロイセンへの対抗を目的としたサンクトペテルブルク協定(1747年)(英語版)に合意。
8月24日 – キプロスの太守であったサイイド・アブドゥラ・パシャ(英語版)がオスマン帝国の大宰相に就任し、1750年まで勤める。
9月13日 – オーストリア継承戦争 - ベルヘン・オプ・ゾーム攻囲戦。70日間の攻防の末、ネーデルラントの街、ベルヘン・オプ・ゾームがフランス軍によって陥落させられる[4]。
9月21日 – カリブ海で発生したハリケーンが、主にセント・キッツ島に停泊していた軍監を中心に11隻沈没させる。
9月19日(延享4年8月15日) – 「細川宗孝殺害事件」。江戸城殿中で、旗本板倉勝該が熊本藩主の細川宗孝を刺殺。
9月 – ヨハン・セバスティアン・バッハが『音楽の捧げもの』を出版。
10月~12月▽
10月1日 - ヒジュラ暦1160年シャウワール(英語版) (第10月)7日、カンダハールのパシュトゥーン族長たちが大会議(ロヤ・ジルガ)を開き、アフガニスタンの指導者にアフマド・シャー・ドゥッラニーを選出する。これをもってドゥッラニー帝国が建国された。
10月21日 - ジョージ2世が、カンタベリー大主教ジョン・ポター(英語版)の死を受けて、その3日目のこの日に、ヨーク大主教(英語版)であったトーマス・ヘリング(英語版)を後任に異動させる。 『義経千本桜』。初代坂東三津五郎演じる源九郎狐。勝川春常画。サンディエゴ美術館蔵。
10月24日 - カリブ海のハリケーンが、イギリスとフランスの間で領有権が争われていたセント・キッツ島を襲う。イギリスの貨物船12隻とフランスの貨物船1隻が沈没[5]。
10月25日 - オーストリア継承戦争 - 第二次フィニステレ岬の海戦。イギリス海軍がまたもフランス艦隊を破る。
11月9日 - アムステルダムで政治改革を求める暴動が勃発[6]。
11月17日から19日 – マサチューセッツ湾植民地、ボストンでノウルズ暴動(英語版) が3日間に渡って発生。イギリス海軍による強制徴募に抗議するものであった。
12月7日 - ベンジャミン・フランクリンがペンシルベニア植民地初の民兵組織であるペンシルバニアアソシエイターズ(英語版)を組織する。同植民地は平和主義であったクエーカー教徒によって整備されたため、既存の民兵組織が無かった[7]。
12月13日 - メリーランド植民地船籍の貨物船であったスループ船エンデヴァー号の漂流。アナポリスを出港して西インド諸島に向かって航海を行っている最中に、ハリケーンに巻き込まれる。マストと索具が失われたままエンデヴァー号は6ヶ月ものあいだ漂流したのち、スコットランド、タイリー島に漂着した[8]。
12月17日(延享4年11月16日) – 大坂、竹本座で竹田出雲ら作『義経千本桜』が初演され成功する。
12月27日 - イギリス議会が1740年帰化法を修正し、非英国国教会系プロテスタント教派にも適応範囲を拡げた[9]。

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